精神病の終末期

癌に終末期があるように、精神病にも、もはや治療の手の届かなくなる時期がある。癌では終末期は人間としての尊厳をもって死に臨めるような配慮がされるようになってきているようであるが、精神病では終末期という考え方は(最近の)教科書にはない。終末期の精神病患者は介護がなければ間違いなく「野垂れ死に」であろう。こんなこと精神科医なら皆知ってはいるが、見て見ないふりをしている。どうしてだろうか?余りに悲惨で、自分の手に余るからだろうか。
 終末期の患者は、人格が崩壊し、会話が不可能になり、理解不能の行動をするようになる。人間というより、「かつて人間であった何者か」になってしまう。寝たきり患者の末路が植物状態なら、精神病患者の末路は動物状態と言えようか。自分の身を清潔に保つことが出来ず、あちこち徘徊し、ゴミを集め、奇声を発するようになる。せめて人間らしい身なりをしてもらって、フロに入れて体を洗ってやり、着替えをしてもらい、ポケットからゴミを取り、鼻をかませることが介護となる。事故のない生活を送ってもらうために常時観察するのが看護となる。人間の尊厳というけど、どうしてあげればよいのだろう? 段々具合の悪くなる自分に絶望し、自殺を試みる患者は多いが、「あの時死んでた方が本人の為には良かったのかも…」と思ってしまうことも多い。オフェーリアは死んだから文学になったのだと思う。終末期の患者が肺炎とかの身体病になると、ようやく自分の出番が来た、と、妙にほっとするのでありますね。病院での処遇がこんなに心苦しいんだから、在宅で看てる家族はさぞつらい思いをしてるんだろうな、と思う。心中した、とか新聞に出てますけどね。何にしたっていずれ死んじゃうんだから、と悟るしかないのでしょうかしらん。
 今日は暗い話になりました。