家族は共犯者!

 過労やいじめの自殺者の家族職場や学校を相手に裁判するのはいい加減にしてほしい。確かに生き残っている皆が反省すべきことは山ほどあるだろう。自殺する人は社会との絆が1本1本切れてゆくものとすれば、最後の残った絆が、家庭、職場・学校、医療関係者となる。死ぬか生きるか、クリティカルな時期には僕らが見ている前でその絆(生綱)が動くが、自殺予防の観点からすれば最後の責任者はこの3部署にあるのは間違いない。医療がお手上げの場合でも、家族や職場の努力で死なずに済んだと思える人は多い。でも、努力が上手くいかなかった場合には、この3部署は自責の念にかられることになる。その自責の念は、確かに後付けではあるが、結構当たってると思わる事も多いが、それはあくまで後付けの後悔であり、その自殺の責任がこの3部署にある、というものではないと思う。で、でもその後付けの後悔にも重みの差は確かにあるだろうから、自殺後生き残った者同志が責任の擦り合いを始めるのは、この自責の念の責任転嫁として理解は出来るにしても、実際の裁判では家族の過失は追及されず職場・学校や医療関係者の過失だけが責任を追及されることは到底理解出来ない。 自殺前の患者の理性は十分に働かなくなっていると言われる。とすれば、その患者の理性の保護・代理をする義務は第一に家族にあるでしょう。 電車への飛び込み自殺で、事故処理の損失補償を家族に請求することが通念とされますが、それは「家族に自殺者への配慮が足りなかった、という過失があった」ということなのではないのでしょうか? 裁判するなら自殺の前にしてくれョナ。