統合失調症者には認知障害があるのか?

 最近の精神医学では統合失調症者には認知障害が明らかである、と言われる。さらに認知障害こそが基本的な障害である、とまで言う人がいる始末である。統合失調症概念の産みの親であるE.ブロイラーは、認知障害に見えるものは観念連合の障害であると言い、K.ヤスパース無感情性(自閉性)の見当識障害であると言って、2人が2人とも、認知障害は、外見的な2次的な障害にすぎず、基本的な障害ではない、としているのに、である。定義した人が違うと言っているのにおかしな話になってきた、と感じるのは僕だけではないはずだ。E.クレペリンが提唱した早発性痴呆(統合失調症の前の病名)は、本来の痴呆とは違う、という所から出発したはずであろう。
 これが、科学が発展し、新しい発見があり、提唱者の意図と違う方向に学問が進展する、ということなら、それは望ましいことであると思うが、こと、統合失調症の臨床症状学に関する限りは、100年前と全く同じで、停滞中の領域なのである。僕には、この認知障害と言ってる人たちは、「停滞じゃイヤだから」、と無理やり「新発見!」と称して怪しいことをやっている手品師にしか思えない。「精神医学は手品だ」と確信してやっているとしか思えない(そうでなきゃ、ただの阿呆になってしまう)。そして、認知障害なら、と、精神医学に無関係の科学者たちが、脳の分析器械を駆使して、その認知障害の在りかを、右だ左だ前頭だ回馬だ、と手品師の手口を解説して見せてくれるが、そもそも精神と脳は、初めから別物である。次元の違う話なのであるのに、そんなことも分からないド素人が土足で僕らの神聖な領域に踏み込んで来ているのが、辛いし腹立たしい。土足者は、僕が「神聖な」と思うことこそ非科学的だ、と言うであろうが、精神が科学で説明しつくされることはない。未来永劫にないと思う。

 …ここから先は、僕の夢想…認知障害でなくて、じゃー何なのですか。と土足者は言うであろう。僕は、基本障害は、希望する能力の過剰ではないかと思うんです。希望する能力なら幾らあってもいいではないか、と土足者は言うであろうけど、その通り。統合失調者は超能力者なのであります。人類が進化するとして、その進化した人類が持つであろう超能力は、幻覚や妄想に類似するのではなかろうか、と信じているのであります。初めに言葉を喋った人間は、言葉を理解出来ない周りの人にとって、狂人であったはずである、と…今日は僕がかなりおかしくなってきたね、じゃーね…