遺骨の始末

 熊本の地震行方不明となっていた大和晃さんの遺体を、家族が頑張って遂に見つけた。インタビューで父親が「やっと晃が家に帰って来られる」と言っていた。僕の周りの人達も皆素直に喜んでいたけど、僕はどうして骨がそんなに大切なのかがイマイチ理解出来ない。死後の魂があったとしても、死骸は抜け殻なんだから。。。東北の津波での行方不明者の捜査は未だ続いているというし、フィリピンとかロシアでは日本人の遺骨を探す商売まであるらしい。日本人は骨を大事にする文化があると言う人もいる。「骨を放置すると、自縛霊となって祟る」と脅かす宗教も多い。でも、調べて見ると、平安時代の京都の庶民は鳥葬(つまり死体遺棄)だったようだし、江戸時代でも町の庶民の死体は墓標もなくそのまま埋められてお終いだった様だ。僕が思うには、遺骨に墓標を立てて弔うのは、宗教や民族の問題ではなく、唯の成金趣味ではないかしらん? もっと言うと、死後閻魔様に生前の悪行を追及された時に「こんなに盛大に弔って貰っています」と言い訳をする為なのではなかろうか、と勘ぐってしまうのですね。 
 前の大戦で海外で戦死した人達の遺骨収集は国家の責任でやる、という法律が去年出来てしまった。魂は靖国へ帰り、遺骨は千鳥ケ渕へとなる。魂の帰還は無料だけど、遺骨の帰還は有料だ。今生きてる日本人の医療や年金が足りないのに、遺骨収集に税金が使われるのが、良いのかどうか? 今度参議院の議員になった青山繁晴あたりが、「硫黄島の滑走路を掘り返して遺骨を収集する」なんて言い出したら、安倍さんはどうするつもりなんだろうか? 政治と宗教は分けなくちゃね。