家族VS後見人

最近裁判所は認知症患者の後見人に患者の身内を選ばない傾向にある、と新聞に書いてあったけど、その通りだ。身内だと、患者のお金を患者の為には使わず、身内自身の為に使ってしまったり、遺産として残そうとしたりするから、患者のためにはならない傾向があると言うのだが、そんなことは以前から分かっていた。精神病患者を禁治産にしようと企む身内はほぼ100%、患者が患者自身のお金を遣わせないようにしようと思ってのことであった。新聞では身内をはずずことが「良いこと」となっていたが、実はそうではない。いざ後見人が他人になってしまうと、お金の出し入れは正常化するだろうけど、患者との心の交流は殆どゼロとなってしまう。例えば「洗濯代」。身内なら自分達で洗ってまた持ってくるので、持ち帰りの時に面会してくれるけど、後見人はお金は出すけど、面会は年に1,2回が精々。例えば「お骨」。何のかんの言っても身内なら引き取ってくれるけど、後見人は先ず引き取らず、口を揃えて皆「契約外」と言うのだ。だから、僕としては後見人は身内の方が患者の為になると思っている。第一、当の患者が赤の他人の後見なんか受け入れない。もっと言うと、成年後見人制度は、僕らの患者さん達(金持ちでない人)には要はない。弁護士が後見すると、何もお願いしなくても、月2万円が相場なのだ。有り得ないでしょ!