過激派と穏健派は分かれない

 イスラム穏健派と過激派を分けて、穏健派とは仲良くしよう、という穏健な主張がある。でも、「分割して統治せよ」は悪しき植民地主義の遺物でしょう。「文明の衝突」のサムエルハンチントンの言うように、宗教は穏健派と過激派に分けられるものではない。イスラム国の過激を言うイスラムの学者は多いが、イスラム国を異端とするスンニ派の学者は1人もいないのだ。ある人間と付き合う時に、その人間の良いとこ悪いとこを分けて、良いとこだけと付き合おうというのが無理だと同じだ。その人はその人の人格があり、良いとこ悪いとこ合わせて一つの人間である。統合失調症者をおとなしい患者と暴力的な患者に分けて、後者は警察に任せて前者だけ医療で面倒見よう、という主張もムリだし、貧民をを善人/悪人に分けて前者だけ福祉で面倒見よう、もムリ。ジキルとハイドは同じ人間だった。
 ブッシュが十字軍で戦い始めたこの戦争で、イスラムはジハードで反応しているのだ。歴史は繰り返す。どこの国の支配者も本質は皆過激派であり、ヨーロッパの民主主義国だって、皆、武力闘争で権力を握って始まったものだ。日本は戦争放棄した、と威張ってみせてもだれも誉めてくれない。助けてくれない。日本はアメリカに負けてアメリカに武器を取り上げられたにすぎない。でも、その日本だって日本過激派(右翼、嫌韓嫌中派)を穏健派憲法9条肯定)と分けるのは難しいだろうに。安部さんだって自民党過激派だけど、穏健派は分離するつもりはさらさらないでしょう。