人間の淘汰が始まった

 世界中で殺し合いが始まった。中国でのウイグル人の暴動で始まって、イスラム国での首切り、アメリカでの強盗黒人の射殺、アフリカの学校での自爆テロ、で今度はフランスのマホメットの風刺画家と警察官殺害事件だ。殺人は本能か教育か? デーヴ・グロスマン(米国軍人)は「本来人間は人間を殺せない(だから兵士には人を殺す教育が必要)」と言うが、コンラート・ローレンツ(ナチ党員)は「人間は本来狂暴だから生存競争が殺し合いに至る」と断言する。殺人者は喜んでやっているのか厭々やっているのか? どっちにしても殺された側は、殺した側を恨み、フェーデが起こり、殺し合いはエスカレートする。宗教は暴力を煽るだけだし、理性は敵に勝つには手段を選ぶなと言う。
 国連やUNISEFは暴力は予防可能というが、彼らは世界の支配者側の集団だから、被支配者の暴力の権利を認めたくないからそう言っているにすぎない。ルワンダ真っ先に逃げたの国連ではなかったのか?「人間は平和を愛する」などと言うのは「原子力は安全だ」と言うのと同じ位の「妄想」だと思う。
煽るやつらが悪い」という意見もある。イスラム国から石油を買うやつ、ボコ・ハラムに武器を売るやつ、捕虜を強姦するやつ、子供を低賃金労働者として使うやつ、今度のマホメットの風刺画も…でも、それは問題の本質ではないと思う。
 本質は社会的次元にはなく、生物学的次元にあると思うのだ。人類は増えすぎて、全員が幸せになることは不可能になったのだ。で、殺し合いが始まったのだ。生物は皆、利己的遺伝子に操られる戦士であり、人類も生物の掟に従って戦うしかないのだ。他者の肉に成りたくなければ、また他者を自分の肉にしなければ生き残れないのが生物だ。はとっくに死んでしまい、悪魔は自分の中にいる。このサバイバルで生き残るのはどんなDNAなのだろうか?