学校でのいじめ対策と体罰反対は両立しない

 いじめゼロと体罰ゼロは両立しないと思う。僕は子供の診察はしないけど、親や教師からのいじめの相談は時々ある。その経験で言うのだが、いじめ問題で学校で一番頼りになるのは体育会系の教師である。そしてその頼れる彼らが口にするのは、「いざとなれば自分が力づくで…」と言う言葉であるが、これは、つまりは、「体罰」という意味であろうと僕は解している。どんな集団でも、集団内での権威(権力)は最終的には物理的な力であろう。精神科病院の隔離拘束が問題になっているが、患者が暴力を振るう以上、こちらも負ける訳にはいかないのである。学校だって、子供が全力で反抗してくれば、「黙ってやられてろ」とはならないはずである。教師の体罰はつまり警察の拳銃、軍隊の原爆に匹敵する最終兵器であり、その平和維持はその最終兵器の抑止力があって初めて達成されるものと思う。体を張っていじめを抑止する教師の気力を委縮させてはいけない。だから、体罰は「伝家の宝刀」、として扱いは丁重にすべきではあろうが、「原則禁止」にしてはいけないと思う。