うつの時の神様

 ウツの時は、何をするのも自信がなくて、色んな神様にお祈りをしてみたけど、役に立った、というか祈りがいがあったと感じたのは、近所の小さな八幡神社と、やはり小さな稲荷神社でした。イエス様やお釈迦様は、祈る方法が良く分かんなかったし、果たして日本語で祈って通じるか、という疑問もありました。大きな神社は広すぎて、祈る自分がちっぽけに感じて上手くいかず、有名神社はお賽銭をはずまないとダメな気がして気持ちが通じませんでした。この2つの神社は、頻回に行けて、お願いの続きも出来たりして、お賽銭を介してギブ&テイクの関係が成り立ったようでありました。その時は結構信心深くなったつもりでいたのですが、ウツが良くなると、アンマリ行かなくなってしまって、あの頃の信心深さがウソのようです。祈る時の、「何かに縋りたい」という気分は、やはりウツの症状だったんでしょうかしら? あの頃、「病院の院長や自分の妻を現人神として従おう」とも心深く誓った事を覚えてますが、今思うと同じ自分とは思えないですね、恥ずかしい…。結論としては、ウツの時もそうでない時も、自分を信じて生きて行く、という事でしょうかしらね。