いじめ→自殺の裁判に思う

 中高生のいじめ→自殺の裁判がマスコミで話題になる毎に<何か隠された原因があるのでは>とコメントされることが多い。原告の家族は学校への不信感を露わにし<真実を知りたい>と言うのが定番であるが、この家族の抱く不信感は、僕らの患者の抱く被害妄想と同じで、追求すればする程疑惑だけが深まり、<真実>なるのものは永久に出て来ないのである。自殺者の自殺前後の全ての言動がビデオに残っているとして、そのビデオには全ての人の意識内容がマンガの吹き出しの様に記録されているとして、そんなビデオを何回見直した所で、いじめの原因や自殺の原因など決められるものではないのは明らかだろうに。人間のこころの奥は闇であり、理性で追及しても限界があること位は家族も一般論なら百も承知のハズであろうに。そして裁判の結果がどうなろうと、家族のコメントは<死んだ子は帰っては来ない>となるのはまた定番であろう。家族が事件の被害者なら、学校だって被害者だろう。自殺者の知り合いで、自殺に100%無関係な人などいるだろうか? <あの時ああすれば、、>とは皆思う事があるハズだろう。被害者同志の泥仕合は、見ていて辛い。生き残った人達が、お互い助け合って生きて行けるような方策はないものだろうか…。裁判では何も解決しないノダ。