偏見は正せない

 世の中には理性では解決しない問題がある。男女差別、人種差別、いじめ、戦争。もしかして貧富の差もそうかも知れない。僕は中学生の頃は、世の中に差別があるのは、大人が皆バカだからで、僕たち世代が大人になれば、差別・偏見のない世の中になるに違いないと信じていたものだ。お互いがお互いを尊重すれば、皆で仲良くやれるはず、と思っていた。精神科医になって偏見を持ってる人を矯正しようとシャカリキになった時もあったけど、人生50年を超えた頃より偏見は治せないもの、と諦めた。偏見は所謂「正常人」の「妄想」だから説得してもムダなのだ、と悟ったのだ。アンマリ眼から鱗だったから、そこら中の人に吹聴して見たら、大抵の人は「お前今さら何を言う」というような雰囲気で、帰ってビックリされてしまった。どうも僕は日教組に洗脳され続けていたようだ。でも、少数の「偏見は正さなくちゃ」派も残っていて、彼らは未だに洗脳され続けているようなのだ。どうして洗脳されてるか分かるか、というと、洗脳されてる人は、そこだけ妙に議論が幼稚になり短絡的になり感情的になって、議論を続ける事が出来なくなってしまうからそうと分かるのだ(以前の僕がそうでした)。洗脳が解けたからそれだけ賢くなったか世渡りしやすくなったか、というとそれはそうでもないようで、これは残念なことでした。しかし、「偏見は正せない」は偏見だ、という意見には耳を傾ける余地があり、これは今後の課題と思っている。