精神科医は消耗品!

精神病のカリスマ治療者の中井先生の語録に、「精神科医は消耗品」とありますが、最近成程、と思うようになりました。大学医局を離れ、精神科病院に就職した時、「俺には地位も名誉もいらない。目の前の患者の為になればそれで満足」と本当に信じていたし、○○長、のつく役職は臨床の妨げになると信じてもいたのでありました。ところが最近、その臨床の仕事がどうも面白く無くなってきてしまって、患者の診察がおっくうになってきてしまいました。こんなことになるなんで、若い頃には思いも及びませんでした。「好きなことでも消耗する」と知識では分かっているつもりだったけど、まさか、この自分が、患者の診察で、とはね。トホホ…ですね。患者ごとに、また同じ患者でも経過を追って、実に様々な様相を見せる症状が新鮮に思えたのに、いつの間にかどの患者の症状も同じもの→見慣れたもの→見飽きたもの、になってしまって、患者との距離が絶望的に遠くなってしまった自分に気づいています。この30年で、僕の心は消耗し尽くされてしまったようなのでした。医局の人事で数年で転々と現場が変わるのに不満で医局を出ることに決めたのですが、その、数年で変わるってのが、実は医師のメンタルヘルスにとっても大切なことだったのだ、と、反省しきりであります。大学のスタッフが臨床だけでなく、実験したり、教育したりするのが、今や羨ましく見えて来ています。気晴らしになりますよね、多分。そして、どうも最近、大学時代の同級生の肩書き、地位、名誉、が妙に気になるようになってきてもいます。すり減った精神科医として、これからどうするか?というのが今の自分のテーマなんですが、実際、他の仕事は出来ないし、趣味もないし、ということで、目下、人生守りに入ってますが、これが問題で、大志を抱けなくなった青年は、小人閑居して不全をなす、ということが相場なようで、何か悪いことを仕出かさなきゃ良いがなあ、と恐れてもいるんですね。こんな患者が来たら、「自分を自分で励ましてあげましょう」とか平気で言っちゃうんでしょうけど、「励ます」といってもね、ドおすりゃいいんでしょうね。誰か教えて!