正常か、と聞いてくれるな
夫婦喧嘩や親子喧嘩の裁定を精神科外来に持ち込んでくる人達が増えた。世間では一般に、精神的な異常/正常は、最終的には精神医学で結論が出るものと思われているようであるが、困った風潮である。どの精神医学の教科書を診ても、正常とは何かは載っていない。精神科医は精神異常の専門家ではあるが、正常の判定は難しい、というか、出来ない。精神科医の目で見ると、大抵の人は、程度は色々であるが、何処かおかしく見えるのである。外来で、「俺は正常だ」と喚く人は、大抵かなり異常を来した人であるし、「お前は異常だ」と決めつける人の精神構造には問題が多いことが多い。
精神には、正常とか異常という科学的な実態が有る訳ではないし、判定する検査がある訳でもないのである。裁判所で精神科医に精神鑑定を求められることはあるが、鑑定医によって結果がバラバラになることが多いし、鑑定の結果に関わらず、起訴された人は大抵有罪(つまり正常?)になるのである。正常とは何か、異常とは何か、精神的な平均(基準)とは何か。大抵のことは、お偉いさんたち(金持ち、政治家、公務員)のお達しで決まるのが現実じゃないんでしょうか。イラク戦争で、ブッシュVSフセインは、力ずくで決める結果となりました。政治では、強いものが正義(権力=正常)でしょう。宗教では、真理=正常、とされるのでありましょうが、これは科学的にはかなり怪しい。精神病者の幻覚妄想だって、本人にとっては疑いようのないことなのであり、1対1で彼らの幻覚妄想を説得することは出来ない(説得出来ればそれは幻覚でなくて、錯覚)。同性愛が正常と認定されたのは、アメリカ精神医学会での多数決であると僕は理解しているのですが、僕は、この多数派=正常が、一番合理的説明のように見えるのでありますね。つまり正常/異常はその時代その社会の世論の多数決なのであり、だから余り真剣に考えてもどうなるものでもないような気がするのであります。自分がおかしいのかどうか、正常か異常かは、精神科医に聞いてもしょうがない。右見て左見て、他の人の目に自分がどう映っているかで判断するしかないと思います。で、異常となったところで、「それも個性」とか「それはプライバシー」とか考えればその後の対応が可能になるのではないでしょうか? でも、その異常が社会秩序を損なう、と判断されると、措置入院、となるのでご用心!