幻覚も妄想も体験してます

僕は、精神症状と言われるものをすべて自分でも体験済みである、と思っているんです。幻聴=空耳であり、これは若いころからあったし、去年12月にも娘の声で、悲しそうに「パパーッ」と聞こえてきて、あせって家に帰ったことがありました。自分の良心の声も数回聞いたことがあるが、信心してる人なら、神の声、と言うんでしょうね。子供の頃に怖い顔した小人が見えて(幻視)、「これは親には言ってはいけないこと」と思っていたことを覚えています。夜の夢の中の怪物達が、昼間見えて困ったことも覚えていますね。高校の時、西方の山の向こうに阿弥陀仏が見えたと思ったこともあります。妄想はしょっちゅうで、上司や妻の言動が怪しいと思うのは世間皆そんなものとしても、昔、大学生の頃、僕が好きになった女の人を僕の親友が奪おうとしている、と確信した時期があったのはこれは異常でありました(結局彼女は僕の先輩と結婚したのですが、今でもその結婚が親友に捨てられた結果ではないか、という疑念を持つことは今でも出来ちゃう)。
 だから、僕の患者が「先生には解かりっこない」、と言われると、猛烈に反論したくなるのでありますね。うつの時もそうだったけど、症状はあっても、自分のプライバシーの中にしまい込んで、ノルマさえこなしていけば、社会生活は可能のはずと思うのであります。精神病患者は甘えている、という偏見は、僕は正論だ、と思っています。幻覚や妄想は能力なんだから、大切に使うのは良いとして、そのぜい弱性は弱点でもあるのだから、自分で守っていかないと、世間は渡っていけませんよね。基本的人権なんて言ったって、人間はしょせん唯の哺乳類なんだから、自衛しないと壊れてしまうのは当然ですよね。でも、その辺が若い患者には理解出来ないようで、こっちももどかしいんですよね。人格障害です、と言われても、「だから何なんだ」、としか反応出来ない僕は、若い人の治療者としては、失格です。でも、人格を治療出来る訳はない、とは世間の常識ですよね。なんか、話が取り留めもなくなってきましたが、今日はこの辺で…