認知症(痴呆)老人のケアの場所

 精神科では、 BPSD認知症に伴う行動障害と精神症状)という症状群が知られていて、認知症患者に一定の率で(10から70%)起こる症状ですが、このBPSDが結構凶暴になることがあり、刃物は振り回すは放火はするは器物を壊すはで、家族や地域を巻き込んでの騒動となることがある。それ程ではないにしても、他科の先生や警察や消防から、「ちょっと老人の精神病患者を診ていただきたい」と言われてやってくるケースは、ほぼ100%救急入院が必要で、入院後に隔離拘束が必要で、また、内科的な合併症も多くて、致死的なケースも少なくないのである。
精神科病院入院が必要な認知症の患者は認知症患者の1〜2割であろうと英米では言われている。しかし、日本の厚生労働省では認知症最後まで地域でケアするものとされ、精神科病院に入院が必要なケースがある、ということすら周知徹底されていないのである。その結果、その老人が犯罪を犯すことになったり、家族が見かねて心中してしまう、という悲劇が起こることになるのである。知的障害者の一部にも精神科病院に入院が必要なケースがあるが、それも厚生労働省は見て見ぬふりで通しているが、同様の扱いなのであろう。周知されないから、「老人認知症患者が病院で隔離拘束されている」という話を聞き込んで、「虐待だ!」と騒ぎ指す輩が続出するのである。老人福祉施設で隔離拘束ゼロが可能なのは、代わりに病院(精神科病院だけではない)が引き受けているからである。隔離拘束しなければ治療にならないから隔離拘束する訳で、治療しなければ、今度は「ネグレクトだ」となるのではないか? 認知症老人にも胃瘻(いろう)を作ってくれという家族の希望は意外に多いが、胃瘻を作れば拘束せざるを得ないのは理の当然であが、拘束すると、当の家族が「虐待だ」、と言い出すのである。徘徊老人を拘束すれば「虐待」で、しないで転倒すれば「注意義務違反だ」と裁判になるが、裁判官は家族の味方である。オムツ問題も悩ましい。失禁させるのは「尊厳を尊重しない」ことになり、だからとオムツをさせると「自発性を損なう」と苦情が出る。オムツはしても「虐待」、しなくても「虐待」なのである。
 高齢者虐待防止法では、虐待の定義があいまいで、市町村の委員会が決めることになっていて、その委員会は、事実の有無は追及しない。通報は密告で良く、通報された人が幾ら否認しても、大抵密告者の意見が尊重されてしまう。通報された人は、通報者と議論することも出来ないのである。実際に、脳梗塞後のリハビリ指導の言葉が虐待とされた例や、患者の不当な要求を断った時の言動が虐待と認定されている例があるのにはビックリである。幸いこの防止法は病院には適用されないが、それを不満に思う人も多いようである。虐待は、もう少し、事実認定をきちんとやってもらわないと、治療やケアはやりにくくなる一方である。
 老化は運命である。生まれた時と死ぬ時は、誰かの助けが必要なのが人間であろう。記憶が薄れると同時に精神も老化し、変質し、矮小化するものである。倹約家はドケチになり、社交家はハレンチになり、反省は被害妄想となる。老人にはもう少し謙虚になってもらわなければならない。自分の子供にだって、自分の人生がある。ましてや嫁は赤の他人である。死にゆく人は残される人の事をもっと考えなければならない。入院させられて、隔離拘束させられたなら、それも運命と思っていただきたいものである。こっちだって一生懸命やっているのである、虐待する積りは微塵もないことを分かって欲しいものである。そして、入院させる家族に言いたいことは、家で出来ないことは、病院に要求はしないでもらいたい、ということである。病院は、患者:介護者=1:1ではないのである。手厚い看護が希望なら、自分の家で、ケアする人を雇ってしてもらうしかないのであります。さらに、病院で「虐待」を叫びたくなった人は、叫ぶ前に、自分の心に手を当てて、自分が介護者だったら、治療者だったら、どんなケアが出来るか考えていただきたい。そして、自分だったらもっと違うケアが出来る、と思ったら、その患者を先ず、退院させて、自分でケアをしてみていただきたい。そして、それで病院以上に高品質のケアが出来たなら、その病院を虐待で訴えても良いと思います。僕は、その患者のケアをしたこともない人が、実際にその患者のケアをしている人の事を「虐待」と言うことはしてはいけない、と信じます。そうでしょ皆さん!そう思いませんか?