ギャンブル依存・再び

2011.9.6にも書いた話。依存という言葉は曖昧だ。人間は常に何かや誰かに頼って生きている。水や空気や家族や文化。お金や警察。初めは「〇〇依存で治療が必要だ」と言われれば言われた方はビックリして少しは自分の生き方を反省したかも知れないかったけど、でも、今や「ギャンブル依存」は立派に世間に通用する病名となってしまったようだから、ビックリ効果は消滅してしまった。そのビックリ以外にその病名に何か意味が有るのかというと、多分、何もない。精神科医療の現状はお寒い限りで、いつものお題目(早期発見・早期治療)を唱えるだけである。昔の慢性アルコール中毒が病名が変わって、アルコール依存になった時、世界中にアルコール専門外来が出来、専門の入院病棟までできたけど、結局大した成果が上がらずに現在に至っている。治療1年予後は、断酒成功2〜3割、死亡2〜4割とお寒いままのようだ。タバコも禁煙外来とか称して、これも世界中に専門外来が出来たけど、上手く行かない。覚せい剤も、鎮痛剤も、依存者は増える一方だ。僕に言わせれば、依存は生きてる証拠だから、治らない・治せない。では依存を法律で取り締まれば、という意見も出るが、それは実験済み。昔のアメリカの禁酒法では、見事に失敗した。「法律でも医療でもどうしようもない」と書くと絶望的に見えるが、「それが本能ってもんだ」と居直れない訳でもないと思う。人生は四苦八苦なのだ。