うつ病の予後

うつ病は治りにくい」といわれる様になった。昔は「うつ病は3ヶ月位で治って、その後再発はするにしてもその都度治るもの」だった。それが、何時の間にか3が6に、6が12に、12が24になって、この頃は「うつ病は治りにくい。慢性化しやすい病気だから、治っても予防的に治療を続けた方が良い」という話になっている。治癒の基準が高くなっているのだ。期待される能力が、「最低のノルマの達成」でなくて、「自己実現」になってしまっている。そんなの、発病前から出来やしなかったと思うけど、患者本人が、「いや、本当の自分はこんなレベルではない」といわれると、否定はできない。「この挫折が患者さんの人生にとってポジティブな意味を持つまでが治療」とか言い出す医者も出てきて、患者は自分の目標レベルがますます上がって行くのだ。薬屋さんのインボーも有るんだろうけど、実際、欧米の精神科医の中には、「抗うつ剤にも依存があるのだ」と断言する人も出てきた。フィンランドのデータで、2008年に2.6万人が抗うつ剤を処方されたが、5年後45%の人が薬を続けていたという。アメリカの議会の委員会では、抗うつ薬の処方を受けた、2013年の540万人の1割程度が依存であると結論した。現代の精神科医が、何でもかんでも病気に仕立て上げて、「治療します」と大風呂敷を広げたまでは良かったけど、その架空の病気が患者の身体を蝕むようになってしまって、現代の精神科医手に余り始めているいるようだ。その精神科医にすれば自業自得だけど、被害の患者は哀れだよね。

イギリス尊厳死の現在

患者中心医療のイギリスでは、安楽死はまだ違法だが、スイスに行って自殺する分には、お咎めはない。尊厳死(強制的な栄養や水分の補給はしない)は1990年代にすでに合法になっていて、、それで出来た高齢者終末期のガイドラインリバプール・ケア・パスウェイ。みるみる普及し、病院で死ぬ人の3割くらいがこのパスウェイで臨終を迎えるようになった。日本でも素晴らしいパスウェイと称賛され、マネするところも出てきた。でも2010年くらいから雲行きが怪しくなってきて、「患者や家族の同意が曖昧のまま、高齢者が過鎮静され、飢餓と脱水で苦しみながら死んでいる」と内部告発が続き、遂には2014年に使用が禁止されてしまった。で、代わって出たNICEのガイドラインには「終末期でも脱水にならないよう配慮すること」と議論が元に戻ってしまったみたいなのだ。「苦しまずに静かに死を迎えたい・迎えさせてあげたい」と思う気持ちは同じでも、患者が自力で水分を取れなくなった場合、点滴をするかどうか、何時からするか、どの位するか、実際悩ましい。「その死に実際尊厳があったのかどうか」は検証しようがないままのだ。中村仁一先生は、脱水死は苦痛がない、と主張されるが、脱水→せん妄は結構起こり、せん妄では平穏死とは言えないでしょう。家族だけでなく看護師にも「脱水死は虐待だ」、と信じる人も少なくない。同僚の内科医は、点滴1本(皮下注)が最良だ、が持論だけど、まあその辺が現在の病院医療のレベルとも思う。

統合失調症患者のリワーク?

統合失調症患者の長期予後はホントの所どうなっているのか?日本の教科書は大抵「最近の治療の進歩で症状は寛解し、生活能力は回復するようになった」とあるけど、僕の成績は以前に記した(2010.12.28)ように惨憺たる結果で、経過良好は1割くらいで、その後も殆どの患者さんが進行的に増悪する傾向だ。ネットで見てたら、ひだクリニックでは、統合失調症患者は復職が当たり前で、「チーム医療でリワークすると、職場定着率が7割だ」と胸を張っていた。でも元NIMH所長のトーマスインセル先生など、生物学的研究者はたいてい「統合失調症脳病で、認知症と同様治癒はなし、治療の効果は限定的」と言ってるし、アメリカの統計では、患者の完全就労(非障害者と同じ条件での就労)率は2割に満たないままだ。予後は良い、という論文の評価尺度は大抵主観的だ。この頃、「回復」という言葉が流行っているが、「回復」の評価基準は、患者さんの主観的なwell-beingであり、つまり、どんなに周りが迷惑していても、本人が「調子が良い」と言えばそれが回復と定義されることになっている。昔は寛解、といったら症状は有ってはならなかったが、今の回復は症状は残っていても良いことになっている。M大教授にその話をしたら、「回復という言葉は使える。患者に"もうこれ以上良くならないから諦めなさい"とは言えないけど、”今後も回復に向かって努力しましょう、協力は惜しみません”とは言えるでしょう」と、言われた。。。何か、患者をだまクラかしている気もするんですけどね。

介護殺人

 日本で、認知症患者の介護者が被介護者を殺してしまう事故が多発している。認知症患者が介護者に「殺してくれ」と言いだして自殺ほう助、または心中失敗のケースが多い。年に平均40件位という。また、介護疲れによる自殺も年200件近くあるらしい。で、自称福祉の専門家達は、イギリスなどが介護者に手厚いサポートをしている事を指摘して、日本の福祉の後進性を強調し、患者や介護者を社会全体で、もっとサポートしなくては、と口を揃える。でも、そのイギリスでも実際は介護殺人は後を絶たず、2010年からは検察は、基本的に不起訴とするようになっているのだ。不起訴とするガイドラインを見てビックリすることは、殺人の動機が愛情と憐憫にあるかどうか、殺人に損得勘定があるかどうか、がポイントで、患者の病状や病態が自殺ほう助に値するかどうかは吟味されないのだ。イギリスには医師による安楽死の法律はまだないが、でも、既に身内による自殺ほう助は罰せられない事になっているのだね。だから、日本で介護殺人が問題になるのは、決して福祉が遅れているからではなくて、検察が律儀に裁判にかけるからなのだョ。

地域移行出来ない訳

この頃あっちこっちから長期入院患者の地域移行の話が出る。年に1回、「この人はどうして退院出来なかったのか」理由を関係者の前で議論する事にもなっているし。その患者にとって「地域」って何処だい?と言う話から始めると終わらないので、症状が重度持続で、引き受け手がない、とか、本人が希望しない、とかが建前の話になるけど、ホントの所は、その症状云々より、彼らの周囲への暴力度、迷惑度の問題なのだ。慢性患者の幻覚や妄想は、幾ら表面には出てなくても、何時噴火し行動化するか分からない。閉鎖病棟で、常時監視していても、1年に数回は暴力事件・迷惑事件(社会的逸脱行為)が起こるのだ。いつ誰が暴れ出すかは分からないけど、必ず起こるのは間違いないのだ。さらに、「地域での暴力・迷惑は警察が扱います」などと言う保証が有ればいいけど、現実は、精神病患者と分かると警察も手を出さない。だから近所が困ってしまうのは間違いないので、退院させられないことになる。移送の話も、法律は出来たけど、現実には動かないしね。こっちは世界平和の為に患者さんを閉じ込めているつもりなのに、「出さないのは病院経営の為」とか、下司の勘ぐりをされるのは堪らないんですけど。。(写真は退院後大量殺人事件を起こし、死刑判決を受けた平野達彦)

高齢者の運転

 S氏は76歳躁鬱病男性、単身生活。片道2時間かけて自分で運転して当院に通院していた。この前来院した時、受付で転んで起きれなくなった。入院も勧めたが、「どうしても帰る」と言うので、皆で介助して車に乗せた。もう車での通院は無理だ、と皆思った。地域の包括支援センターに相談したら「実は地元でも困っている」との事。人身事故には至らないが、車でもあちこちでぶつかって、歩いても転倒するのだという。誰が説得しても聞き入れないので、「何とかなりませんか」と反対に頼まれたけど、彼の躁鬱病寛解状態で、認知もない。唯の頑固者として扱うしかないのだ。その彼が突然死した。地域の民生委員が死後2日の彼を自宅で発見したらしい。病名は脳卒中と言う事。運転中じゃなくて良かったね。
 道交法改正で認知症の診断を医師がすることになった。医師会は「かかりつけ医が引き受ける」と強気の姿勢。で、「手引き」と称するものを見てビックリ。診断は問診+HDS-R(長谷川式認知症テスト)だけなのだ。「HDS-Rを認知症の重症度の診断に使ってはいけない」、と作った長谷川先生も言ってるのにね。ゲームセンターのドライブゲームの方がナンボかましじゃあないですか? それにしても精神科医の影の薄いこと。精神科医って政治には無力なんだよね。患者には威張るのに。

福島原発から22kmの高野病院の話

 高野病院原発事故後も福島県双葉郡で唯一、入院医療を続けていた精神科病院)で唯一の常勤医だった高野英男院長(81)が去年12月火災で死亡。その高野病院の存続に向け、全国から町に寄付金が寄せられている。町はボランティア医師の交通費や宿泊費を支給するため、ふるさと納税を利用した寄付を募集したところ、翌日には三百万円を超える寄付が集まった。支援する会の会長も務める遠藤智町長は「高野病院が存続し、被災地の医療体制を崩壊させないよう、全力で取り組みたい」と話している・・・と、新聞で読む限り、心の温まるニュースである。でも、事情を知るW氏は、「マスコミは情報操作している」と手厳しい。院長の死は、当直中のダバコの火の不始末が原因らしく、娘(理事長と事務長兼務)婿は医師であるのに、別の病院で働いていて、しかも院長の死後も高野病院を継ぐつもりはないらしいのだ。W氏は病院存続云々問題は、実は「良くある家庭内の不和なのだよ」と断言した。だとすると美談でも何でもなく、返って醜聞だよね。2月から2か月限定で院長をしていするのは、36歳の外科医らしいけど、なんか、入院中の患者が可哀そうな気もしますけど。。。