親の病気、子知らず

 Nさん56歳女、夫が死亡後3か月。「様子がおかしい」と親戚に連れて来られて初診。支離滅裂でそのまま入院。どうも長年の統合失調症のようなのだが、「親族も、近所の人も、おまけに子供(30歳男)までが「今までは何でもなかった」と言うのが不審だ」と担当の若いM先生は言っていた。その全容が判明したのは2年後。患者本人が、「実は結婚直後同じ様な事が有って、ダンナが何処かから薬を調達してきていて、それをずっと飲んでいた。ダンナが死んで薬がなくなって、で、今回の事が起こった。ダンナが他人にはナイショにしろ、と言うので今迄誰にも言わなかった」と自白したらしい。M先生は僕がその時どうして「長年の」と分かったのか不思議がっていたが、だって、56歳初発は有り得ないでしょう。それに、親の精神病は子供には分からないものなのだ。若い先生にちょっぴり見直されたようで、少し嬉しくなりました。年上の同僚はおだてて使うのがコツですよ。

病前性格

 精神病の原因は、教科書的には「不明」だけど、患者さんの発病前の性格が関連する、と言う「迷信」は根強く残っている。この前、某大学の教授も大勢の聴衆の前で、「うつ病には、成りやすい性格ってのが有るんですョ」って言っていた。確かに昔は、執着気質、とか、メランコリー親和性性格、とか言われていたけど、統計的には証明されていないのに…。その教授は「ドイツでは人格的に低レベルの人がうつ病になるってのが常識です」って続けていた。うつ病現役の僕としては、確かに自分の性格的な欠点が発病に関係していることは認めざるを得ない。でも、人格的に低レベルっていうのはアンマリの気がする。「世間があって、世間に適応出来ない人が精神病」とは定義だから認めるけど、その世間が正常なのかどうか、という問題はあると思う。ヒトラー東条英機は当時は精神病とはされなかったけど、当時の世間は間違いなく異常だったのだ。世間が異常な時に、その犠牲者として、誰かが精神病になるって事があるのではないか? 時代がおかしな時は、マトモな人から率先しておかしくなって行くのではないか?とも思う。ホロコーストで生き残った人達は皆「マトモな人は皆死んでしまった」と言っているし、実際生き残った人がイスラエルでやった事は、マトモじゃない。じゃあマトモな時代、マトモな世間なんて何処にある?と言われちゃうと、返す言葉はない。やっぱ、生物として生まれたからには、どんな環境においても、「適応してナンボ」なのは間違いない。でも、「うつ病になる」ことが生き残る手段なのかも知れないとも思っているのですね。

時給300円

 びっくり。初めに聞いた時には何かの冗談だと思った。統合失調症65歳で定年後の再就職で、ハローワークで初めに紹介された会社がブラックで、1日10時間も休みなしで働かされるので3か月で辞めて、「1日5時間で働く仕事がある」と言うので働き始めたと言う。ハローワークに確認したらホントの話で、「障害者雇用の枠で、本人もそれは承知してるハズ」との事であった。障害者は時給300円位が相場だそうな。仲介業者がいて、その業者との連絡の為にスマホが必要と言われて、月1万数千円スマホの契約をさせられて、その日の朝に仕事場と集合場所の連絡が有ると言う。うちのソーシャルワーカーに聞いたら、高齢者は、普通の条件では若い人に敵わないから、ブラックでも言われる通り働くか、そうでなかったら、半分ボランティアのような、時給の低い仕事しかないのが常識、と言われてしまった。でも、今迄普通に働けていた寛解患者が定年後とたんに障害者枠ですか?!

PTSD or 薬の副作用?

 2012年にアフガンのカンダハルで16人を殺害した空軍のスナイパー Robert Balesは、司法取引結果死刑を免れて、終身刑となり、今も米国の刑務所にいる。で、事件について聞かれる度に「何も覚えていない」と言うらしい。彼の弁護士は、その虐殺を薬物原因の脳障害の結果と説明する。確かに彼はマラリアの予防でメフロキンと言う薬を以前投与されていたのだが、その薬は2013年、FDAがそのメフロキンブラックボックスに「異常行動、自殺企図」を載せているのだ…以上は最近のPeter Breggin氏のblogの内容だ。で、考えたのだが、日本では、大酒を飲んで前後不詳になって犯罪を犯しても、その責任は本人に有るのが常識(未必の故意)だろう。でも、それは酒が原因の脳障害の結果ではないか、と言われると、そんな論理も通用しそうに思える。メフロキン、メファキンとして日本でも発売中。精神病の患者・既往者には禁忌となってますが、飲むと虐殺したくなる、とは書いてない。イラク派遣の自衛官も予防投与されてたみたいだけど、それで問題になったケースはないようです。

親父様の血圧vol.3

僕の親父様は90歳。81歳の母が老老介護であるが、親父様のADLは落ちる一方。主治医を往診してくれる先生に変えて、救急対応可能な訪問看護が週1と、週2回の2時間のリハビリ通所に通っている。でも、せっかく通院しなくてよくなったと思ったのもつかの間で、今後は肩の痛みを訴えて、月1,2回の整形外科への通院を始めた。今度の主治医と相談して、降圧剤を3剤から1剤に減らしたら、血圧が時々160〜180位に上がるようになった。そしたら血圧ノイローゼが又復活した。「血圧は1日3回しか測らない」と言うが、その1回が連続3回の測定で、結果が気に入らないと、隠し持っていたアダラートを密かに服用したりして、母を困らせているようなのだ。僕も主治医も「血圧など測らない方が良い」と言うのだが、「測らないと気持ちが苦しくなる」のだそうだ。この前会いに行ったら、知らぬ間に整形外科での鎮痛剤が3剤になっていて、何と胃薬も3種類になっていた。やーね。

自分では分からない

初診のうつの患者さんで、家族は過労ストレスを訴え、実際に残業が月100時間にもなるのに、当の本人は「仕事は少しも苦にならない」と言い張る人は少なくない。本人には「仕事がストレスになっている」ことが分からないのだ。総じて精神病は、障害が進んでくるのに反比例して、病識がなくなってくるものだ。で、治療が進んでうつ症状が軽くなってくると、結構そのシンドさを思い出すようになってくる。実は、僕自身のうつの場合も、うつ病の薬を飲み始めた時は、「自分の体調がすぐれない」自覚はあったが、それが「仕事のストレスが原因だ」という自覚はなかった(右図)。初診時、僕が「甲状腺の検査もして下さい」と言った時、僕を診てくれた同僚が「こいつ、分かってない(病識ない)ナ」と思った、と、僕が感じたのを今も鮮明に覚えている。でも、その後、初回のうつが回復した後も、僕は「自分のうつの原因が仕事であった」とは自覚出来なかった。そしたら薬止めて1年後に再発してしまった。再発後服薬再開したらうつ症状はすぐ回復したけど、再開後1年位して、ようやく当時に自分の日常の仕事がストレスフルであった事に気がついたのでありました。以前の日記を読み直したら、当時の患者や同僚やらに対するモンクが山盛りでありました。

2年間保護室

今週外来に来た、うつ病のOさん55歳男は、現在は完全寛解で、仕事(週3回半日)も出来ているが、実は、一昔前に、2年間継続して保護室に居た人である。その間、奇声を発するが言葉にはならず、壁に頭をブツケテ血だらけになっていたり、自分のウンコを食べたりして、「人格崩壊・荒廃」という悲惨な状態であった。主治医の僕とは全くラポール意志の疎通)がとれず仕舞いで、「この先は絶望」と放置せざるを得なかった。見兼ねた当時の師長さんが特別のメニューを組んで、スタッフを張り付けてくれて、隔離解除の試みが始まり、1年後には大部屋には出る事が出来たが、自発的な行動は全くなかった。妻も絶望して、引き取りは拒否していた。でも、母親が「可哀そう」と引き取る事になり、入院6年で退院した。退院後1年して、「母が認知症で施設に入所する」というような状況になった頃から、復活劇が始まった。Oさんが、「母親の面倒は俺が見る」と言いだして、炊事洗濯掃除を始めたのだ。初めは誰も回復を信じなかったが、数か月過ぎるウチには関係者は皆Oさんの完全復活を認めるようになっていた。外来でも僕と会話出来るようになり、「母親の介護についてアドバイスが欲しい」などと言われた時には、ホント涙が出そうになった。奇跡は起こるものなんですョ。